大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和52年(ネ)377号 判決

控訴人

株式会社平和相互銀行

右代表者

稲井田隆

右訴訟代理人

小林宏也

外二名

被控訴人

金錫

右訴訟代理人

徳岡一男

主文

原判決を次のとおり変更する。

被控訴人は控訴人に対し、金二一四万二二八六円及びこれに対する昭和四九年一二月二二日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じこれを三分し、その二を控訴人、その余を被控訴人の負担とする。

この判決は第二項に限り仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一控訴人が昭和四九年六月一八日被控訴人から本件各小切手の取立委任を受けたこと、右各小切手の支払が拒絶されたことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、右取立委任を受けた控訴人が本件各小切手を同月二〇日の手形交換により支払人に呈示し、支払拒絶の旨が同月二一日控訴人に通知されたことを認めることができる。そして、控訴人が同月二〇日控訴人目黒支店の被控訴人の普通預金口座(名義人大宮正道)から被控訴人の請求に応じて金七一〇万円を被控訴人に払戻したことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、右払戻は、控訴人目黒支店の職員において本件各小切手が同月二〇日に支払われたものと誤認し、同日右各小切手金額が前記普通預金口座(当時の残高金六五万五七一四円)に入金されたものとして処理した結果なされたものであることが認められる。

右認定事実に基づいて考えるに、被控訴人が控訴人にした本件各小切手の取立委任は右各小切手金額をもつて前記普通預金口座の預金とする趣旨を含むものであるところ、右各小切手(控訴人以外の銀行を支払人とするいわゆる他行小切手である。)による預金は、その取立が完了したときに初めて成立するものと解されるから、被控訴人は前記預金の払戻請求をした時点において右口座に金六五万五七一四円の預金を有するに過ぎなかつたわけであり、したがつて右口座から金七一〇万円の払戻をうけた被控訴人は、控訴人の損失に基づき法律上の原因なく差引き金六四四万四二八六円の利益をうけたものといわなければならない。

なお、控訴人は、被控訴人が右払戻をうけた当時本件各小切手が支払拒絶となることを知つていたから悪意の利得者であると主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。

二ところで、〈証拠〉を総合すれば、控訴人が被控訴人の預金払戻請求に応じた経緯の詳細は以下のとおりであることが認められる。

控訴人は平日の窓口営業時間を午後七時までと定めて営業しているところ、午後五時を過ぎてから手形、小切手の取立委任を受付けた場合は、右手形、小切手を翌々日手形交換所に持出すことが内規で定められている。ところで本件各小切手の取立委任は六月一八日午後五時二三分に受理されたのであるが、右受理に際し、控訴人目黒支店の職員が必要な機械操作を怠つたため、被控訴人の普通預金通帳には、右各小切手が六月一九日持出の小切手でありしたがつて六月二〇日午前中に決済の有無が判明するものとして、同日午後には預金の払戻が可能である旨の記帳がなされた。しかし、本件各小切手はその受理時刻に従つて前記内規の定めるとおり同月二〇日東京手形交換所に持出され(この場合決済の有無が判明するのは同月二一日午前中である。)、したがつて同月二〇日夕方被控訴人から右預金通帳を呈示して預金の払戻請求をうけた控訴人目黒支店の職員としては、同日午前中に右各小切手の支払拒絶の通知をうけていなかつたことから、これが決済されたものと信じ、前認定のとおり預金の払戻をした。

以上のとおり認められ、右認定に反する証拠はない。

三被控訴人は、抗弁1において、控訴人は被控訴人の預金払戻請求に応じた時点で、本件各小切手の支払拒絶の事実、したがつて被控訴人に右各小切手金額と同額の預金がないことを知つていたものであると主張するが、前項に認定した事実によれば右抗弁の採用し難いことは明らかである。

四そこで、被控訴人の抗弁2について検討する。

〈証拠〉によれば、以下の事実を認めることができる。

被控訴人は昭和四九年三月下旬頃知人福原から、同人の知人である韓に営業資金を融通することを依頼され、福原の保証の下にこれに応ずることとし、その頃同人から金八〇〇万円の限度で韓の債務を保証する趣旨で同金額の約束手形の振出・交付をうけ、あわせて保証を約する書面の交付をうけた。そこで被控訴人は同年四月から五月にかけて韓に合計金七一七万円を貸与し、韓はその支払のために本件各小切手を振出して被控訴人に交付し、右各小切手をいずれも同年六月一八日頃決済することを約した。こうして被控訴人は、先に認定したとおり同年六月一八日控訴人に本件各小切手の取立を委任し、同月二〇日の夕方前記普通預金口座から金七一〇万円の払戻をうけたので、本件各小切手が決済されたものと思い、直ちに福原に対して、右各小切手が決済された旨を連絡し、同日夜福原と会つて前記約束手形と保証契約書を福原に返却し、福原は即時その場でこれを廃棄した。翌六月二一日午前中控訴人目黒支店では本件各小切手が不渡となつたことを知り、直ちに被控訴人に対し、前日預金の払戻に応じたのは手違いによるものであるから、右各小切手と引換えに払戻金を返還して欲しいと要請した。しかし、被控訴人はこれを断わり、その後も何回か話合が行われたが、結局被控訴人が払戻金の返還に応じないで、控訴人は本件各小切手を所持したまま現在に至つている。

以上のとおり認められ、右認定に反する証拠はない。

被控訴人は、以上の事実関係に基づいて、控訴人が誤つて預金の払戻に応じたことにより本件各小切手の支払があつたものと信じ、福原に約束手形等を返却してしまつた結果、韓及び福原に対する債権を失つたとして、被控訴人には利得が現存しないと主張するが、被控訴人が払戻をうけた金員又はこれと等価値の利益が消滅しているわけではないので、右主張は採用しえない。

次に、被控訴人は、右債権喪失により金七一七万円の損害を被つたと主張するところ、まず右約束手形等を返却したことにより被控訴人の韓に対する債権自体がその存在ないし行使の面で何らかの影響をうけるいわれのないことは明らかである。そして、〈証拠〉によれば、韓は資金不足のため本件各小切手を不渡としたもので、同年六月二二日銀行取引停止処分をうけ、現在なお多額の債務をかかえ、国外に身を隠すなどしていることが認められるので、被控訴人としては債権の回収をはかるには福原に対し保証人としての責任を追及するほかないわけであるが、本件各小切手の支払がなされず、主債務者たる韓の債務が消滅していない以上、被控訴人が前記のように約束手形等を福原に返却したからといつて、約束手形による請求が不可能となることは当然として、福原の保証債務が法律上消滅するものでないことは控訴人主張のとおりである。被控訴人は右のように約束手形等を返却したことにより右保証債務の免除がなされたものと認めるべきであると主張するが、被控訴人としては、控訴人から預金の払戻をうけえたことにより韓の債務が消滅したとの認識の下に、右約束手形等がもはや不要のものとなつたと考えてこれを福原に返却したにとどまり、韓の債務、したがつて福原の保証債務がなお存在するものとしてこれを免責したとか、あるいは保証債務の消滅の有無にかかわらずもはや保証人としての責任を一切問わないこととしたとかいうわけでないことは先に認定したところから明らかであるから、右返却がなされたことをもつて福原の保証債務が免除によつて消滅したものということもできない。しかしながら、保証債権の存在を証する書類がなくなつたことに加え、右のような免除に類する行為が一旦なされたことからすれば、被控訴人が今後福原に対し保証人としての責任を追及することは事実上困難であるといわなければならない。そして、他人の債務を自己の債務と誤信して弁済した場合に関する民法七〇七条は、本件とは場合を異にし本件にそのまま適用があるわけではないが、同条が、債権者において善意で証書を毀滅し、担保(人的担保を含むと解される。)を放棄したときに、これによつて債権者の権利自体が法律上消滅するわけではなく、事実上その行使が困難となるというだけで、弁済者から給付したものの返還を請求することを許さないこととしている趣旨をも考えれば、前記のように福原に対する責任の追及が事実上困難となつた事態をもつて、被控訴人に損害が発生したものとみて妨げないというべきであつて、その額は、上記認定の事実関係に照らし、被控訴人の韓に対する債権額金七一七万円全額ではなく、その六割に相当する金四三〇万二〇〇〇円をもつて相当と認めるべきである。

そして、右損害は、控訴人の職員が事務処理上の過誤により本件各小切手の支払があつたものと誤認し、これを前提として預金の払戻を行つたことによつて発生したものであるといわざるをえないから、控訴人は過失による不法行為に基づき被控訴人に右損害を与えたものとしてその賠償の責に任じなければならない。控訴人は、右払戻は控訴人内部で責任を問われるべき行為であるにしても、被控訴人との関係では何ら違法性ある過失とならず、また右払戻と損害の発生との間には相当因果関係がないと主張するが、右払戻は直接には預金契約上の義務の履行として行われたものであるとしても、一面被控訴人からの本件各小切手の取立委任に基づく委任事務処理の延長線上にあるものであることを否定し難いこと、右払戻によつて被控訴人が本件各小切手の支払があつたものと信じたのは当然であり、その結果保証人たる福原に対し、直ちに約束手形等を返還したことも債権者の行動として当然ありうることであつて、これをもつて軽率な行動として非難することはできないところであることを考えれば、控訴人の職員において払戻にあたり前記のような事態が生じることを予見しえないではなかつたといわざるをえず、また右払戻と前記損害の発生との間に相当因果関係を否定することもできない。

以上の次第であるから、被控訴人は控訴人に対し、金四三〇万二〇〇〇円の損害賠償請求権を取得したものというべきである。〈後略〉

(江尻美雄一 桜井敏雄 河本誠之)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例